くれおの発達障害ブログ

ADHDと軽度ASDを併発。精神安定のために自分の考えをまとめたりします。発達障害の自分を見つめ直す雑記。

2018年を振り返る。来年はできることを増やしたい。

こんにちは、くれおです。

年末がやってきましたね。
朝から泣きべそメンタルでめちゃくちゃだったのですが、朝ご飯を食べて、シャワーを浴びて、ドライヤーをかけて、カーテンを開けてお日様を浴びたり、窓を開けたりしていたら、気持ちが少し楽になりました。
ベッドから起き上がって、ここまで頑張るのに、ものすごく精神力を使います。

ベッドから窓を見上げると、いつも一本の細い白樺と青い空がわたしを見下ろしています。
白樺は北海道を代表する植物です。
また、北海道の先住民族であるアイヌ民族は、白樺をアイヌ語でレタッタッニと呼んだり、シラカンバと呼んだりします。
生まれてから22年間、白樺は窓からずっとわたしを見守ってくれていたのだなあと思うと、少し嬉しくなりました。
窓の向こうの白樺の薄い木の皮が何箇所かむけて、ひらひらと冷たい風に揺られています。
窓拭きをしたおかげで、そんな白樺の様子や青空のコントラストが鮮やかに映っていて、気持ちが爽やかになります。☺️

今年はたくさんのことに挑戦して、失敗を繰り返して、たくさん迷惑をかけて、失言をしたりして、悲しいことが多かったけれど、何もない人生よりきっと素敵だって、そう思いたいですよね。
誰しも、人を傷つけて、許して生きているのですよね。
今年は、許し許される大切さを学びました。
たくさんのことが学べて、嬉しかったです。
精神が不安定だったり、初めてのことでうまくいかなかったりして、たくさん迷惑をかけた年でした。
見栄っ張りなのは、自分に自信がないからなんだろうなあって。

あと、自分ってかなーりの頑固者で、気分屋で、自分勝手な性格だってことにも気づかされました。
周りの人からすごく頑固、自分勝手と言われすぎて、正直ちょっと落ち込んでいます。
新しいものや知らないものに対して激しい恐怖が付きまとうのですが、それはみんな一緒なんですよね。
どうしてわたしはできないのでしょうね。
ごめんなさい。怖くて怖くて、全部言い訳して逃げる人生をしています。
化粧も服も、結局センスとか分からないし、難しいから、努力していないんです。本音ですよね。
けれど、以前よりはできるようにはなったので、少し成長したって思えばいいのでしょうか。
周りの人に、どうせあんたは直せないんだから、受け入れなさいとか、開き直りなさいと言われています。
頑固だから、人の意見を聞くと叱られているような、否定されているような気持ちになってしまうけれど、そうではなくて、私の未来のために言ってくれていたんですよね……。
ショックで辛いのですが、来年は苦手な家事を少しずつできるようになって、自己受容できるようになりたいです。

今日はお雑煮をあっためて、水を沸騰させてお餅を柔らかくして食べました。
しかし、お餅の説明を読んでもよく分からなくて、沸騰させた後にお餅を入れるのかと思いました。笑

でもちゃんと食べれたので嬉しかったです。美味しかったです。
あと、残った食器を洗いました。
帰ってきた親にありがとう、助かったよ、と言われてとても嬉しい気持ちになりました。

お雑煮をあっためている間、実は岸見一郎さんと古賀史健さん著作『嫌われる勇気』を読んでいました。
それには子育てする際は褒めてはならないと書いてありました。
ようするに、人の能力を評価しないということです。
なぜかというと、褒めるという行為は
、能力があるものが能力がないものに下すものだからです。
褒めるということは、評価を勝手に下して無意識的に縦の関係を作ってしまうとのことです。
妻が夫に仕事で、よくできましたね、すごいね、と言わないのと一緒ですよね。

だから、代わりにありがとうや助かったといった言葉をかけるのがよいそうです。
そうすることで、他人に貢献できた喜びを感じることができると。
たしかに、親にありがとう、助かったよ、と言われたとき、とっても嬉しい気持ちになりました。

わたしは今年、人の役に立てたのかなあと考えます。基本的に迷惑かけちゃったなって気持ちの方が大きいので。
本当今年は正気じゃなかったですね。
あんな自分初めてって、かなり思っています。あんな自分いるんだって思いました。今思うとかなり怖いし、どうしちゃったんだって。笑
自分でもさすがにどうなの?って考えてしまうことばかりです。
もっと真面目に、しっかりしなければなりません。
気分の差が激しすぎて……。
言い訳ですよね。ちゃんと、正気じゃない自分を受け入れないといけません。
悪いことをした自分、受け入れないといけません。
そんな自分も自分なんだって、受け入れます。


今年は発達障害の診断を受けて、人生が180度世界が変わってしまいました。
けれど、高校の時からなんとなく、自分って発達障害なんじゃないか、とは思っていました。
でも、発達障害という診断を受けることでダメ人間とレッテルを貼られたり、社会的に窮屈になるくらいなら、やめたほうがいいと思ってずっと言えませんでした。
診断を受けたら障害者として差別されるぞ、社会的にできることが少なくなるかもしれないぞ、とか、そういうことを言われたり聞いたりして、怖くてたまらなくて、この歳まで駄々をこねて診断を伸ばしてしまっていたのです。
診断の仕方もわからないし、本当に障害かも分からないし、手帳をもらったらなにかあるんじゃないかと思って、ただ先延ばしをするばかりでした。
偏見、言い訳、決めつけをして行動しなかったんです。
臆病者でした。
今年は、いろんなことに挑戦しました。
でもやっぱり振り返ってみると、言い訳や偏見が多かったかもしれません。
自分はダメだから、とか、苦手だから、忘れっぽいから、とか、ADHDだから、とか。
忘れっぽいならメモをする。
プライドを捨てて助けてもらう。
本を読んでみる。
紙に書いてみる。
メンタルケアをする。

来年の1月に、カウンセリングでリラクゼーションの仕方を教えてもらう予定です。
来年は、少しだけでも自分が幸せになる勇気が欲しいです。
いつも、幸せになろうとすると、幸せじゃないわたしが足を引っ張ってきます。
「わたしを捨てるのか。可哀想なわたしを捨てるのか。可哀想なわたしには存在価値がないのか、人格が狂った人間には存在価値がないのか。精神不安定なわたしを打ち消すのか」と、言ってくるのです。
不幸を持っているわたしを捨てきれません。感情がめちゃくちゃなわたしを捨てないようにするにはどうすれば?
どうやったら、この不幸を望む体質を手放せるのでしょうか。
もう苦しまなくていいんだよ、ひとつになろうと、どちらも自分なのだよと言えたら良いのでしょうか。
ありがとう、頑張ったよ、わたし。
今を生きよう。
過去を労ろう。
来年も変わらず、自分のままで変わりたいですね。
ブログを始めた自分、ありがとう!
関わってくれた人たち、ありがとう!
来年も頑張ろう!
良いお年を!