くれおの発達障害ブログ

ADHDと軽度ASDを併発。精神安定のために自分の考えをまとめたりします。発達障害の自分を見つめ直す雑記。

人間らしいってなんなのか? 大人の発達障害のわたし

こんばんは、くれおです。

今日はただの雑記です。
自分の過去を振り返っていたら、人間らしくなったよね、と言われたのを思い出して複雑な気持ちになったので、書いて気持ちを消化します。

わたしは大人の発達障害です。
一昨年にADHDと軽度ASDと診断されました。
軽度とは言われましたが、今と比べると小学生の頃は自閉症の特性が強かったと思います。

思い返すと

  • 周りがほとんど見えない
  • 話を聞き取れない
  • 感覚過敏でマフラーがつけられない
  • 聴覚過敏でリコーダーの音に耐えられない
  • 感情のメルトダウンを起こし、突然泣く
  • 会話を広げようとしない
  • 興味のあることを一方的に話す
  • 孤独を愛する
  • 感情より論理を重視する
  • 意見を堂々と言う
  • 触られるのを嫌う
  • 集団行動が苦手
  • ルールを頑なに守る

などです。
全てが自閉症の特性に当てはまるかはわかりませんが、子供時代のわたしにはこの特性が今より強かったです。
子供時代はこれらが発達障害が原因とは知るよしもありませんでした。
名前を知りませんでしたからね。
しかし、それらが原因で奇異な目で見られていることに大人になるつれなんとなく気づいていき、発達障害という言葉を知りました。
そして現在ではそれらが少しずつ薄まりつつあります。
と言っても、まだまだですけどね。
それが良いことなのが悪いことなのか、どうなのかはわかりませんが、生きやすくなった面はあるでしょう。
しかし、自閉症の症状が少しだけ薄まったことで、自分でも良いと思っていたところも消えていくことに深い寂しさを感じることがあるのです。

大人になって「人間らしくなったね」、「話しやすくなったね」、「明るくなったね」、と言われることがありました。
かけられるその言葉は誇らしいのか、寂しいのかわかりません。
きっと良いことなんだと思います。
LINEでは前よりは共感もできるようになったし、肯定もできるようになりました。
会話も広げようと下手くそながらも話しました。
カウンセリングだって受けました。
仕事だってなんとかやってます。
これまで努力してきた証なんだと思うのです。
自らを形状記憶として削り取り、環境にできるだけ対応できるようにしています。
しかしその奥では自閉症の症状が渦巻いている。
それが悩みの種となっています。仕事場でも困ります。
今でも症状は止みません。
特に音やストレスには弱いままです。
過去のことが何度もフラッシュバックします。一人で叫び声をあげ、激昂し、次は泣き喚き、許してくださいと、やめてと言います。

悲痛に書いてしまいましたが、もちろんそうじゃない時もあって、ふざけて話したり楽しんだりすることの方が多いと思います。
ただ一人で考え事をしていると、色々悲しいことを思い出したりします。

孤独を愛していたはずが、人の波にもまれるうちにいつか孤独が怖くなりました。
論理を優先していたはずが、辛い出来事の前ではいつの間にか感情が勝ち、不安症が強くなりました。
堂々と発言をすることが好きだったのに、人目が大変怖くなりました。
普通の人間になろうと願って行動するたび、どこかずれている自分に落胆しました。
孤独の力ゆえの独自の世界観を愛していたのに、創作する力も失ってきました。

気づけば「おかしな」自分を憎み、定型に憧れを持ちました。
自信を失い人目が怖くなり、手負いの獣のように心の中は警戒心が生まれました。


ここまで書いていてよく分からなくなりましたが、人間らしくなったって言うのはどういうことなのかな?と思いました。
言った人たちにとっては、自分たちと似た共通点が増えていくことが近いことが「人間らしい」なのかもしれませんね。
表情が豊かだったり、喋りやすかったり、質疑応答がしっかりしていたり。
わがまま?を言うならば、そういうところも大事にして、自閉症のいいところも大事にしてあげたい。
変人と呼ばれてもいいから、自分を愛してあげたい。
そんな風に思います。


では!