くれおの発達障害ブログ

ADHDと軽度ASDを併発。精神安定のために自分の考えをまとめたりします。発達障害の自分を見つめ直す雑記。

発達障害について知ってみる。2

こんばんは、くれおです。

今回は自分自身で発達障害の特性などを整理して落ち着くために、発達障害についてのメモを書いておこうと思います。(個人で調べたものなので正しい情報とは言えません。各自判断でお願いします


発達障害とは

発達障害とは脳機能の発達のかたよりがある障害のことを言います。
これは生まれつきの障害であるため、治すことはできません。
以前まで家庭環境や子育てに問題があると言われていましたが、上記に書いたように現在は脳の機能障害であることがわかっています。
また、発達障害には知的の問題があったりなかったりする場合の人たちもいて、さらに目に見えない障害のため、普通に見られやすい人は成人まで見過ごされやすいです。
言語性に問題がないと大丈夫だと思われやすく、わたしもその一人に含まれています。
有名な人であれば米津玄師さんは高機能自閉症と呼ばれる発達障害を持っていることを公言しています。

発達障害の人たちは周りに協力を得ながら自分なりの条件を整えたり対策をすることで、ある程度改善することが可能と言われています。


発達障害の種類

発達障害の種類についてを知っている限り書きます。
まず、以下三つのことを発達障害と呼びます。

ADHD(注意欠如多動性障害 /注意欠陥多動性障害 Attention Deficit Hyperactivity Disorder )
自分をコントロールする前頭前野に障害があり、自分をコントロールするのが難しい。報酬系ドーパミンノルアドレナリンが不足している。
薬はストラテラコンサータが処方される。
多動性、衝動性、不注意の三つが見られるのが特徴。

診断基準

1. 多動性、衝動性、不注意が見られること
2. 12歳までに症状が存在していること
3.症状が二つ以上の環境で存在していること
4. 他の精神障害で説明できないこと
5. 症状が社会、学業、職業機能を損ねること

多動性が見られない場合はADDと言われるが、ADHDの診断の方がメジャーのため、ADDと診断されるのは稀とのこと。

主な症状

忘れ物が多い。ケアレスミスをする。興味の対象がすぐ変わる。片づけができない。遅刻をしやすい。気が散りやすい。計画するのが苦手。衝動買いしやすい。走り回ったり体を揺する。過集中する。喋りすぎる。感情的になりやすい。抑うつになりやすいなど。(これらが月に頻繁に見られる、というのが問題。超忘れ物しやすい、超遅刻をしやすい、超気が散りやすい、のような)

ASD自閉スペクトラム症/自閉症スペクトラム/自閉症スペクトラム障害 Autism Spectrum Disorder)
広汎性発達障害(Pervasive Developmental Disorders)とほとんど同義。
対人関係およびコミュニケーションの障害。こだわり、興味のかたより。

診断基準

1. 幼少期から上記の症状が見られること
2.症状が生活に悪影響を及ぼしていること

現在処方できる薬はない。
言葉の遅れがない場合はアスペルガー症候群。知的に問題のある場合は自閉症。知的に問題のない自閉症高機能自閉症。小児期崩壊性障害など。
しかし現在はひとつのものに境界線を作るほど差がないとされて、2013年のDSM-5からは全て合わせて自閉(症)スペクトラム自閉症スペクトラム障害と呼ばれている。

主な症状

行動のパターン化を好む。人目を気にしない。興味のあることは一方的に話す。無表情。目が合わない。あれ、それの指示語がわからない。曖昧に言われてもわからない。そのままの言葉の意味で受け取る。
(まだ知識が足りなくてそこまでわかりません。すいません)

LD学習障害 Learning Disturbance )
脳の機能障害。

学習障害は持っていないため詳しくわかりませんが、書字障害、算数障害、読字障害を持っている人たちのことを言います。
同級生に読字障害を持っている人がいたのですが、漢字がバラバラの記号のように見えているため、それをひとつずつ覚えて読んでいたようです。それがごく普通だと思っていたので、自分が読字障害であると気づいていなかったとのことです。


2013年のDSM-5からは発達障害は神経発達症の枠組みに入れられています。
DSMとは

〖Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders〗

アメリカ精神医学会が作成する、精神疾患の診断・統計マニュアル。臨床像と特徴的症状から、精神疾患の分類と診断基準を得ることができる。アメリカ精神医学会の診断DSM2013年のDSM-5からは、広義的に神経発達症枠組みに入れられている。

引用 大辞林 第三版
のことを言います。(難しかったの引用しました笑)


発達障害とひとくくりにいっても症状は軽度から重度までグラデーションのようになっていて、併発していたりしていなかったりで、ひとりひとり症状や凸凹が違っているのが特徴です。
この障害は様々な症状が絡み合っているように見え、簡単に見分けることができません。
診断基準や対策、理解が難しいとされています。
そのため、この部分が当てはまっているから発達障害だとは一概には言えません。
個人で発達障害だと決めるのではなく、病院で診断してもらうのが一番です。


発達障害の問題

軽度やグレーゾーンだからといって大丈夫というわけでもありません。
困り感は変わらないのに、健常者にも障害者にもなりきれない、だから人に頼ることもできないという方もいます。
また、多動性の少ない女性の発達障害は一見普通に見えてしまうため、大人になるまで見過ごされやすいと言われています。

見過ごされた世代の人たちは、そのまま大人になって違和感を覚えたまま社会に出て、ケアレスミスを頻繁にしたり遅刻をしてしまうことで信頼を失い、うつ病などを発症してしまうのですね。

仕事や日常生活が辛いけれど、周りからは『よくあることだ』と言われて理解されず我慢した結果、ストレスで症状が悪化し、うつ病双極性障害(過去に躁うつ病と呼ばれていたものです。)などの二次障害を患う人々が後を絶たないようです。

何度言っても理解されないため、理解を諦めている人もいます。
今までの経験から否定されたりしてきたため、『どうせ理解されないし自分は無能だから』と、差別されることを恐れて隠している人がいることも知っています。
なにより当事者や周りの方が辛いのですね。
重度であると、仕事もままならない方もいるようです。

出先で発達障害者として自分のことを伝えると、なにそれ?といった顔をされます。仕方ないことだとは百も承知ですが、うつ病てんかんなどと比べ、この障害はそこまで認知されていないのが現状なんですね。


◆個人的に思うこと

日本では『片づけられない女たち Women with Attention Deficit Disorder 』という本のタイトルで、女性の発達障害が一度注目を浴びたり、NHKなどのテレビ局で発達障害を認知はされつつありますが、『ただ片付けられない人』、『すごく騒いでる人』、『すごい才能を持ってる人』という漠然なイメージしか持たれていないのが事実として存在しています。アインシュタインは、スティーブ・ジョブズADHDだった! だから発達障害はすごいんだ!とか。

もちろんそういうギフテッドと呼ばれるような人たちはいて、誇れることだとは思っています。
先ほど言いましたが、米津玄師さんは高機能自閉症自閉スペクトラム症)だと言われています。
米津玄師さんの作る音楽や絵はわたしも大好きで、ニコニコ動画でハチとして投稿していたときも大ファンでした。

しかしそれは日常生活を送ったり仕事をする上ではまた違う話になると思っていて、発達障害そのものの特性や日常生活の困難はほとんど理解されていないのかもしれません。
ADHDだから運動が得意、とか、自閉症だから絵の才能がある、とかではないのですね。
ADHDでも発達性協調運動障害を持っている方なら運動が苦手ですし、絵が得意でない方ならそうではなくなります。
とても才能のある発達障害というごく稀な存在を持ち上げすぎることは、発達障害自体の症状や日常生活の問題をかき消しているのでは? という個人的な感想もあります。もちろん彼らはなにも悪くはなく、そればかりを持ち上げて発達障害の症状や対策自体はないがしろにしてしまう社会があるというのが問題なのではないかな、と思うのが一個人の感想です。
でも、そういう才能を発揮している方って本当にすごいですよね。特性を生かして自分の才能で頑張っているんですもん。本当に尊敬しています。

しかしそればかりに注目してしまうと、そうではない発達障害の人たちがそれを押し付けられてしまったり、日常生活と仕事の困りごとをないがしろにされてしまい、才能のない発達障害はお呼びでない、という差別を受けてしまうんですよね。難しい。難しいです……。
わたしはADHDASDを併発しているため、この二つの特性である飽きっぽさとこだわりがぶつかって中途半端になり、結局ストイックになにかやるということができません。笑

発達障害の症状は障害ではなくただの個性であるという意見も存在します。
それに対して私的な意見ではありますが、個性として捉えたとてその個性が周りと摩擦を起こしてコミュニケーションに障害が出てしまうのなら、個性と呼ばずいっそ障害として見ても良いのではと思ってしまったりします。
発達障害という言葉だけが徘徊し、実際の発達障害者の方と関わったりすると、個性として受け入れられない、ということにもなり得ます。

発達障害が障害になり得なくなるくらい科学や社会が発達する道があれば、もう障害ではなくなるのかもしれません。
目の悪い人がメガネを当たり前につけているように、手脚のない人が義手義足を付けているように、いつか発達障害のためのメガネや義手義足ができれば良いのかなと思っています。
わたしはメガネを付けていますが、メガネがこの世に存在しなければ、きっと私は障害者だったでしょう。
それと同じように、発達障害のためのメガネがないから、発達障害は障害と呼ばれるのかもしれません。

出先で発達障害ってなに?と聞かれた時にうまく答えられないので、もう少し口頭でも文章でも説明できるようになりたいです。

では!