くれおの発達障害ブログ

ADHDと軽度ASDを併発。精神安定のために自分の考えをまとめたりします。発達障害の自分を見つめ直す雑記。

不思議な夢を見た。これからのこと。

こんにちは、くれおです。


今日夢で見知らぬ警察官の人が「わたしもADHDなんです」と教えてくれた夢を見ました。嬉しかったです。

あと、ある大切な人が左側に立っている夢を見ました。
夢の中ではありましたが、相手がわたしに向かって笑っている姿を見たのは久々でした。
夢の中で昔の友人がその人に向かって「あの人誰?」って聞いたんです。
そうしたら相手がわたしの顔を見て突然吹き出して、よろけて、お互いなんだか面白くて笑い合いました。
わたしが「あのときどうだった?」と聞くと、「夜も眠れなかった」って相手は困った顔をして笑っていました。
話が終わって別れるとき、相手が背中を向けました。そのときわたしははっとして、相手の裾を掴んで「待って」と言いました。
そうすると相手が驚いた顔をして振り返ったんですね。
それでわたしは相手の顔を見て、ただ一言「ありがとう」と伝えていました。

そんな夢です。


目覚めたあと、あまりにもリアルだったので涙が止まらなくなりました。
ありがとうって言えました。夢の中だけれど。
夢占いでは、左側って過去の意味なんですよね。わたしは子供のころから夢を見やすいので、つい夢占いして遊んじゃいます。笑
その人は左側に立って、わたしと笑いあってくれました。
願望夢でしょうか?
きっしょいですね。笑
その人からしたらやめてくれって感じかもしれません。

でも、本当は嬉しかったんです。
もう終わったことで、過去に執着しなくて良いのだと。もう十分頑張ったんだよ、もういいんだよ、と潜在意識に言われたような気がしたのです。
もう置いていきます。過去の自分をその人に預けます。その人から無理やり自分を取り戻さなくていい。
そこにいていいんだよって。
人って、認められたり許されると心を開くのです。安心するんです。相手が身を固めているのは、罪悪感でいっぱいになって、動けなくて、辛いから。
私がそういう人間だからわかります。
なのにわたしは、我慢できなくて否定したり逃げたり批判してしまった。
情けないですね。反省します。
もしこれを読んでいる人がなにかで苦しんでいたら、どうかもう忘れて、笑顔で過ごしてください。
罪悪感でいっぱいだと苦しくて、辛いですから。
見下すのも、憎むのも、後悔してしまうだけですから。
どうか自分を愛してあげてください。


今は、自分で自分のやるべきことを見つめる時なんですよね。
周りの人たちもきっとそうだから。
他の人より遅いけれど、確実にゆっくり前には進んでいます。
自動車免許をとるために今学校に通い始めました。不器用で下手だけれど、なんとか自分なりに工夫してメモを取っています。
やっぱり失敗はしちゃいますけどね。笑

講義が終わった後に帰ろうとしたのですが、もしかしてバッグ忘れた!?と思って焦って机の近くに寄ったんです。けれどどこにもバッグがなかったんですね。
あれ?と思ったら、実は肩にバッグぶら下げてたっていう失敗?をしましたよ。笑
忘れてないのでよかったんですけど。笑
こういうありえないことをしてしまうんですよね……。笑
まあ、だから発達障害なんですけど。笑
ドン引きされるレベルの忘れっぽさはもう慣れっこなので、笑って流しています。笑
迷惑かけてないですし、バッグ忘れてませんし、いいですよね。

それと、診断書についてです。
まだ診断書はもらっていませんが、これから精神保健福祉手帳を申請する予定です。そして、就労に行こうと思っています。まだアポイントメントを取っていないので、取りに行かないといけませんね。
もしダメだったら、大親友の働くコンビニで働かせてもらおうと思っています。
コンビニのオーナーや店長さんが過去に支援センターで働いていたらしく、資格を持っているので、発達障害でも大丈夫だよって言ってくれているのです。
ダメだったら、いつでもおいで、と。
待ってるからって。

なぜこんなに優しいのですか?
なぜか彼らに私の名前と顔が知れ渡ってるし。笑

親友もなぜかわたしに優しくしてくれるのです。
どうしてそんなに私を好いてくれるのですか。
どうして私といる時が一番楽しいと言ってくれるのですか。
発達障害でもいいって、気にしないって、親友たちが言ってくれるんです。
そのままのあなたが好きって、大好きって。ドン底になってもずっと支えてくれるんですよ。惨めでも、バカでも、不器用でも。叱ってくれるんですよ。
ずっと見捨てないでくれるんですよ。なんでだろう。いつも感謝しています。

無くしたものばかり数えていたけれど、こんなに愛されていたんですよね。

健常者として生きてきた自分や、大切だった人を持っていた自分と何度もお別れしながらなんとか生きています。
関わってくれた人に感謝しています。
こんなバカでも、大切に思ってくれていたんです。関わってくれたんです。本当にありがとう。

とはいってもこんなかっこよく話せるようなことじゃないんですけどね。笑
ほんと、しょうもないことばっかり。笑
思い出すと恥ずかしいことばかりしていましたよ。笑
薬もらって体がすごく軽くて世界が見違えって、あまりにも嬉しくて、テンション上がりすぎてダメになるし。笑
心配かけてはいけないですよね……。
ほんとに辛かったなあ。でも、元気でいなきゃって思って無理に明るくしてしまったり。でもやりすぎて落ち込むし。
コンプレックスいっぱいです。
どうしたらいいのかわかんなくなっちゃうんですよね。

でも発達障害を言い訳に使いたくないですね。
発達障害という診断は、自分の心を楽にして、対策しやすくする精神状態にもっていくためのもので、言い訳のために使いたいわけじゃないんです。


話は変わりますが、どんなにこうやって自分を嘲笑ってもバカにしても否定しても、思ったことはもう偽れないんですよね。
だってそこにもういるんです。どれだけ否定しても、消えないんです。


今年に常々実感しましたが、それが消えない悔しさや怒りで代わりに周りに当たり散らし、相手をバカにしても、嘲笑っても、ドン引きしても、その結局それは自分に降り注いで、自分自身を引き裂くんです。

そしてふと気づくのです。
相手を笑えるほど、断罪できるほど、わたしはそんなに素晴らしい人間なのか?って。
会ったことのない人たちや特定の人をちょっとしたことで罪人にして、マウンティングして、まるで自分は特別で人を罰する権利がある存在と思っていたのです。
傲慢でした。
無意識の悪意がそこにはあったのです。
そんなことにも気づかないで、人を罰していたんです。
許せない悪い人たち、と簡単にフィルターをかけていたのです。それの方が楽だから。世界が、悪に満ちていると思う方が楽だから。
でもそうじゃない、ただみんな過ごしているだけ。
そういう方々を罪人に仕立て上げようとしているわたしの方がよっぽど許せない悪い人、ですよ。
精神状態がかなり悪かったのだと思います。診断を受けてから心が不安定で不安定で。どうしていいかも分からなかった。
いい奴ばかりじゃないけど、悪い奴ばかりでもない、なんですよね。きっと。
ブルーハーツです。笑

自分には到底他人を罰する権利はないと思いました。人を罰せられるほどわたしはそんな良い人間じゃないって。
心と体を締め付けて、具合が悪くなるような罪悪感の実感がそう思わせるのです。
当たり前ですが、そんなご立派じゃない、わたしは。

他人に罰した言葉、自分のしたことが自分に返ってきて、わたしの体や他人の体すら引き裂いていく。
他人に罰を与えるということは自分に罰を与えるのと一緒なんです。
自分を罰さず、相手を罰さず。
自分を許し、相手を許し、フラットに生きたい。


人に優しさを与えられてきていたのに、それが見えづらい世界にわたしは住んでいるから、そうなっちゃうんだろうなって思います。発達障害の特性がそうさせているだけだって思うと少し楽になれます。
少しわたしを許して、世界を明るくしたいです。

けれど、障害者差別ってあるんですよね。
昔に発達障害の人の子宮がとられたという事件があって、それを告発しているニュースがあって、わたしも時代が違っていたら、とられていたかもしれないのかあと思うと、少し怖かったです。
発達障害の人は、子供を産んじゃいけないって。
自分自身はまだ差別も受けてないので、大丈夫なのですが……メンタル不安にならないようにしたいですね。
というか、されたとしても、別に仕方ないのかなって。目くじら立てても仕方ないのかなって思ってしまいます。
大事なのはどううまく過ごすか、ですもんね。
そんなに気にしないのが大切ですね。
なんかいいですね、こうやって当事者になれるって。

社会的にはわたしは差別される側に来たんだと思います。
けれど、当事者になって、痛みに気づけるって素敵じゃありませんか?
誰も可哀想じゃない、困っているだけなんです。
認められたくて、愛されたくて、必要とされたくて叫んでいるんです。
自分をなんらかの形で愛してくれる人を探して、さまよっている。
それはどんな形であっても一緒だと思いますから。

障害者でよかったです。
だって、少しでも、助けを求めている人の心に寄り添えるかもしれません。
こうやってたくさんの優しさを知ることができますから。
それに、差別されるばかりの世界じゃないって、知っているから。
ネットにはそういうものがたくさんありますが、あまり間に受けないように。
そういう人たちも認められたい人たちだと、わたしのようになにかが枯渇している人だと。

自分が診断に行ったおかげで知らない世界を見れたんです。
どうせこんな感じだろう、と思っていたけれど、実際行ってみたらとても優しく対応してくれるよい病院だったり。
メンタルクリニックに行って、偏見がなくなるって素敵ですよね!
最近始めさせてもらったカウンセリングも、笑いながら話しています。

たぶんそれを知っているから、ここに書いていられるのです。自分が障害であることを伝えてしまうのだと思います。
伝えることが誠実なのかな?って思ってしまうのですよね。
相手からしたら突然すぎて対応に困ってしまうみたいなので、さすがにすぐには伝えませんが。


今年はたくさんのことを気づかせてくれることが多かったです。
みんな、自分の大切なものを大切にしているのですね。愛するものを守りたいだけだから。
だから、世界って美しくて悲しい。
差別以上に大切なものがあるから、生きていられる。
けれど、差別について告発する強さも大切なんですね。
けれど一番大切なのは、当事者を守れる法律や条件を整えること。

また、戦うよりも大切なこともあります。
それは目の前の人と笑い合ったり、自分の好きなことをしたり、ご飯を食べたり、笑いに変えたりすること。
そういうことをすることなんですね。
私には、それができなくなっていきました。コンプレックスへの焦燥感が、苦しみが、強がりが。

それに、違う人間と認めることで幸せになることもあるのだな、と思ったり。
私がきっと、違う人間であるということが怖かったから。ずっと変人コンプレックスだったから。
違くていい、んですよね。

償うみたいにここに書き続けています。

けれど、ここまでなんとか生き抜いてきました。

今わたしは生きている。
とりあえず今はそれだけで十分です。
ゆるゆるとがんばるぞー。