くれおの発達障害ブログ

ADHDと軽度ASDを併発。精神安定のために自分の考えをまとめたりします。発達障害の自分を見つめ直す雑記。

日常の人々を横目に見て これからの人生の方が長い

こんにちは、くれおです。

部活を辞めてから刺激が減って、人生がちょっとつまらないな、とか、どこか虚しいなと感じることがあります。
やっぱり、わたしにとっては非日常的だったというか。
あの時はもう当たり前になっていましたけれど。
周りに甘えてたんだなって思うんです。
もっと楽しくできたのかな、とか、怒っても仕方ないことだったな、なんて、切なくなります。
悲しい思い出と楽しかった思い出が入り混じるんですよね。
中高大で、部活を辞めたのは初めてだったんです。
部活を辞めてこなかったのは、少しわたしにとっては誇りだったんですけどね。笑

けれど、もちろんやめてからも幸せだなと感じることもあって。


去年の年末あたりに、地元に帰った時に小学生のときから付き合いがある親友と昔行ったバイキングに行く約束したんです。

待ち合わせが親友の仕事場でした。
建物の横でぼけっと待ってたのですが、ふと右を見たら遠くに平屋の保育園か幼稚園みたいなのが見えたんですよね。

外はもう暗かったので広い窓から明るい光が漏れてました。
こっちは暗くて寒いのに、そこだけ雰囲気が違うというか。
窓から女性の保育士さんと十数人の子どもたちが見えてました。
切り取ったような温かい光の中で、子どもたちが保育士さんに寄って、楽しそうにしてるのが見えたんです。

それを横目に見て、なぜか泣けてきちゃって。
ふとしたときに何気ない日常がそこに存在していたからなのでしょうか。

もちろん、結局その涙もこの気持ちも、自分のためでしかないってことは分かってるんです。
彼女らの事情も知らず、何も知らないのに勝手に幸せそうだな、と思って勝手に揺さぶられて泣いている。
子供は純粋で美しいもの、というレッテルを貼って、勝手に自分の喜びや生きる糧にしている。
まるで善人みたいな顔をして良い言葉を並べて、それで傷つく人がいるなんて知らずに善良な人間だと思っている自分がいて。
遠くにあるものって、どうしようもなく美しく見えちゃいますよね。
過去の自分を思い出して耳が痛くなります。
大人になって子供を純粋な存在と思い込みすぎて、目の前の子どもに、はあ?みたいな態度を取られる面白さ。笑
大人だって、子供の延長線上にしかすぎないのに。

でも、それを見た瞬間のわたしは、そんなこと考えちゃいません。
ただ感じているだけなんですよね。


光に囲まれてる保育士さんと子供たちの姿に見とれていたのですが、なんとなく視線を戻したらいつのまにか親友がわたしの後ろにいました。
いると思ってなかったので、ちょっとびっくりしましたよね。笑

それからは親友の車に乗って談笑しながらバイキングに行きました。
店の様子変わってなくてとても懐かしかったです。笑
それで焼肉やらお寿司を食べながら発達障害の診断のことを話しました。
本当に、ターニングポイントみたいにいろんな出来事があったので。
それに去年はなぜだか、わたしの周りで本当に辛すぎる出来事が起きたり、辛いことをよく聞いたりして、精神的な負担が大きく、本気で苦しくて悔しかったです。世の中ってこんなに残酷で、その残酷さが身近で起こったりするのだと。
そして同時に、わたしもその残酷を作り出すことができてしまう人格の持ち主であるということも分かりました。
人は誰しも狂気と紙一重なのだなと。
悔しいなあ、なんであんなことしたんだか。テンション上がるとろくなことがない。笑

後悔はさておき、親友に診断等のことを話すと、「いままでの22年より、これからの人生の方が長い」と言われました。


そうですよね、これからの人生長いです。
この障害と一生付き合っていかないといけないんですもんね。
発達障害でも、不幸とは限らないです。
感情を持って日々をただ過ごしている中で、発達障害の特性が現れるだけですから……。
どうやればいいのか、全然まだわからないけれど、少しずつ自己理解していきたいです。

では!