くれおの発達障害ブログ

ADHDと軽度ASDを併発。精神安定のために自分の考えをまとめたりします。発達障害の自分を見つめ直す雑記。

同じ人間だと思いたかったのは

おはようございます、くれおです。

過去のわたしはよく、同じ人間として、と言っていました。

それは、なんとなく自分がどこか他の人と違うと感じていたから人間という見えない概念に執着していたのです。
みんなと同じ存在だと思いたかったのは、人間であるということだけに執着して、自分と周りを肯定したかったから。
でも実際は、みんな人それぞれ性格も、感情も、環境も考え方も何もかも違っています。
同じ人類であってもみんなバラバラなんです。
そんなのとっくの前から分かっていて、同じ人類だからと言って争う必要はないなんてことはないのです。
だって、みんなすでに争い続けています。
宗教差別、障害者差別、精神疾患差別、性差差別、学歴差別、民族差別、かぞえきれないほどの差別があって。
そして私は間違いなく全ての差別者であるという事を認識しています。
たとえ障害者という当事者であっても。

わたしは差別者ではありません、なんていうつもりはありません。
言葉で言うのは簡単だと痛いほど知っているから、彼らのことを簡単に語れるほどわたしは何も知らないのだと思い知らされているから。

差別って一体なんなのだろう、と思います。
差別してはいけません、と言うこと?
ズカズカと踏み入れて、自分の意見を言って、逃げ去ること?
わたしは差別者です。
当事者じゃないのに感情に流され自他境界線を失ったわたしは差別者です。

そしてそれを受け入れるのが怖いプライドの高いナルシストな性格だということ。罪悪感を感じるほどお前は立派な人間か?
どこまで追い詰めても叩いても殴ってもプライドの高さが治らない。
わたしにとって自責は他責よりも善なのです。


発達障害だと分かっても、違うというとに対してのコンプレックスは拭えません。
劣等感がなかなか消せません。
こうやって差別が生まれていくのですね。
差別じゃなく、区別したいです。

深い闇がある人は優しくなれるっていうけれど、はたしてわたしはそうなれるのかな。なんて思います。
なれないからといって叩かなくてもいいのかな。
優しくなれと言いながら相手を叩くのは矛盾している気がして。

優しくなって欲しいのなら、抱きしめて、愛を注がなければできないのではないのかなと。

それができないわたしは欠陥人間なのか、と。
でもそれを言えばきっと傷つくでしょう。

立派なことを言っても、実際は上から目線であざ笑って、打ちのめされて。

プライドが高いくせに力量がないうえ体力もないし体は弱いし頭も悪くて自尊心も低ければ自己肯定感も低い。

どうしたらいいんだろう、なんて不安に感じながら毎日を過ごしています。

周りの人のためにももっとまともでいたいけれど、できない。

少しずつまともになりたい、普通になりたい、健常者になれなくていいから、少しだけでもまともになりたい。