くれおの発達障害ブログ

ADHDと軽度ASDを併発。精神安定のために自分の考えをまとめたりします。発達障害の自分を見つめ直す雑記。

自分は本当にヤバいやつなのでは、と危惧し始めた

こんにちは、くれおです。

軽度のASDADHDの傾向があると診断されて2ヶ月ちょっとが経ちました。

自分の行動を冷静に見つめ直してみると、去年のわたしがいかに異常だったか分かります。
思い出すと胸が痛くてたまりません。
集団行動って大切なんですね。
周りの人も迷惑だったでしょう。
あそこまで異常な行動をした自分を恥じます。
おそらく投薬のことやその他プライベートで理性を失い、テンションが上がりすぎていました。

しかし、こうやって簡単に過去の自分を切り捨てるのも辛いですよね。
精一杯頑張ったと、最善の行動を取ったのだと、過去のわたしからの叫び声が聞こえてくるのです。
自己愛の強さ、プライドの高さ、体の弱さ、どうしようもなく真っ直ぐすぎる不器用さを認識する年でした。

けれど、それもまたひとつのわたしなのだと、受け入れたい。

◆開き直るのではなく、受け入れる

去年のことを通じて分かったことは、自分の欲求に従いすぎて、コミュニケーション下手になってしまう部分があることです。
実力もコミュニケーション能力もないまま単独行動すると、無駄なプライドばかりが肥大化して失敗することがわかりました。
そして助けを求めようとする頃には、誰も周りにいない。
また、一人の人に依存しすぎるのも危険です。その人の関係が崩壊した時救済措置がなく、孤立する可能性が高いからです。
孤立したっていいじゃん、と言えたら良いのですが、わたしにはその孤立に耐えられるだけの精神力と修復能力がないということに気づいたため、このコミュニケーションの取り方はやめます。

わたしは羽目を外したら外しすぎて何がいいのか分からなくなります。
その場になると激しい不安に駆られ、思考の視野が狭まり、自己防衛に徹します。
「こうしたほうがいいよ」と言われても「ありがとう」と言っておきながら、自分の中の意見を強く固めていき、自分なりに考えてみて、「やっぱりこっちのほうがいい!」と譲らない特徴があると分かりました。
私にとって人のアドバイスに見えます。
なぜなら自分なりに努力して調べて考えてきたことを否定して、私のやりたい人生を否定して口出ししてきたように見えるからです。
これは、頑固な人に見られる特徴なのでしょうか?
できるだけこの考えを矯正し、彼らは敵ではないと刷り込みたいです。
そうすれば少しは生きやすくなるかもしれません。

生まれてからずっと頑固、変人、個性的、マイペース、宇宙人、と言われ続けてきたことに劣等コンプレックスを持ちつつも、それを言われることに多少優越感があり、「変人な私」に誇りを持っていたところも正直ありました。
真面目になって変人を隠そうとしても、結局根は変わらないのでバレてしまうからいっそ開き直ってみたもののプライドが高すぎて失敗しましたし。

そのため笑いに昇華することでいっそ自分の凸凹を忘れようとしたのです。
しかし結局自分の凸凹で困るという事実は変わらなかったのですね。
忘れ物はするし
気は使えない(らしい)し
寝てしまうし
失言はするし
頭の中はとっ散らかっていてどうしたら良いか分からないし
大きな音や光がストレスだし
感情のコントロールはできないし
視界が狭くて周りが見えないし
指示されないとよく分からないし
呼びかけられても聞こえないし
自己中になってしまうらしいし
ズカズカ人の人生に口出してしまうし
あまりにもしんどすぎてスピリチュアルに頼ろうとしたりしてしまうし
相手の気持ちがわからなくて自分の意見をズバズバ言いすぎたり(または自分の中で決めつけてばかり)

問題がいっぱいなことに気づきました。
また、発達障害の特性と性格が混ざることで、「自分はダメ人間だ」と自分を責める精神的負担により、より負のスパイラルに入ってしまうということも分かりました。

こんなの嫌われて当然なんですよね。

真面目にやっていても特性が邪魔して真面目になりきれないのが悔しい。
相手に誠実でいられないのが悔しい。
「くれおより変な人いるよ」と、人と比べたからといって

自分が変人と呼ばれる事実は変わらないし、困ってることには変わりないのだ

と分かってしまったのです。
そりゃ、私より変な人なんてごまんといます!
けど、それは問題じゃないんです。
今、ここで、わたしがどうしていいのかわからない、と悩んでいるのが大変であるということなんですよね。

自分を責めないよう無理に頑張らないでいるとみんなに置いていかれて能力の差を見せつけられてしまいショックを受けてしまいますし、そして結局擦り切れるまで頑張って追いつこうとしたらキャパシティを越えて精神が歪んでしまいますし、もうどうしていいのか。

個性的なわたし〜!と気取ってる場合じゃない!
変人なわたし〜!と笑ってる場合じゃない!

わたし、友達少ないんだよね〜!と言ってる場合じゃない!

気遣わせてただけだよ!
自然と人が離れてっただけだよ!
被害者意識強すぎて周りからキモいと思われてるだけだよ!
腫れ物だと思われてるだけだよ!
迷惑かけてるぞ!
自立できないぞ!


とりあえずひとつひとつ対策を打たねばやっていけませんし、なにより無理に健常者と同じになろうとしないのが一番なのかもしれません。

人に合わせた生き方はやめ、苦手には近づかず、一個ずつできることを増やしていくのが大切なのかもしれません。
家事、仕事、自立、親からの解放……何年かけてでもいいのでそれがわたしを成長させる方法なのかもしれません。

迷惑をかけて相手を無自覚に傷つけて周りに辛い思いをさせるのを個性だなんて言いたくないんです。
いつか、感情のコントロールが少しでもできるようになって、忘れ物も少しは減って、気を遣える人間になりたいなあ……そしたら、またちゃんと生きていけるのかな。
自分が成長することで、償いができるのかな。
こんな性格なのでわたしには友人は少ないですが、ADHDだろうがASDだろうがくれおはくれおだよって言ってくれる友人がいます。 認めてくれる親がいます。
そんな人を大切にしなければ。😭
できるだけすみっこで発言して相手を傷つけないように、誠実に……。
見下されてもいい、笑われてもいい、偽善者と思われてもいい、プライドなんて投げ捨てて、誰かのために働いて、生きたい。
ドジで情けなくて失言して相手を傷つけて迷惑をかける自分が怖くて怖くて、でも、笑われながら、叱られながら、怒鳴られながら、冷たい目線を受けながら、無関心に晒されながら、生きなければいけなくて。
どう頑張っても自分は存在していて。
誰かのために生きたい、そんな思いすら本当は自分が生きるための手段として相手を使ってるだけの醜い意味で。
だったら全てを脱ぎ捨てて、自分のために生きてるだけだって言いたい。
みんな生きるために働いている、結局は自分のためでしかないのだもの。
自分のために働いていたら、誰かの役に立ってるというだけ。
そんでもって自分次第で優しい世界になりえるのかもしれないということ。
自分や人を信じるのって大切ですよね。
では!