くれおの発達障害ブログ

ADHDと軽度ASDを併発。精神安定のために自分の考えをまとめたりします。発達障害の自分を見つめ直す雑記。

ASD特性のフラッシュバック 全ての自分を許したい

こんばんは、くれおです。
ふとしたときいやな思い出が蘇って叫ぶことが多いです。
これって、ASD自閉スペクトラム症)の特性の一種らしいですね。
なにかのテレビ番組を見ていたとき、顔を洗っていたとき、連想ゲームのようにいやな記憶と感情が呼び起こされてしまいます。体が熱くなって、震えて来て、怖くなります。

そういうときは今はなにも起こっていない、もう過ぎ去ったことと必死に言い聞かせ、ゆっくり深呼吸をします。

そのとき思い出したいやな記憶と感情は今目の前に存在しないものだから、私を今ここで攻撃したり否定したりしてこないと考えて、安心させます。

家の中でぼーっとしていたりテレビ番組を見ているとき、今目の前にはなにもないのに、頭の中に瞬間的に過去を作り出して、見えない敵と戦います。
本心では、見えない敵と戦うことで、自分はそうでない善の存在だと、特別だと証明したかったのです。
そんなやり方ででしか、なかなか自分を肯定できませんでした。
ひねくれた方法でしか肯定できませんでした。

でも、ほんとは敵なんかいないって思うのです。
自分が相手の言動を見て、勝手に敵だと見なしているだけだって。

自分を肯定するために敵を作っているのです。
でも、その敵がいなくなったら?



競争から降りたいです。
障害者も、健常者も関係なく幸せになりたいです。
比べて喜ぶのも、比べて悲しむのも疲れました。
見下すのも疲れたし、見下されるのも疲れました。
自分が比べてしまえば、誰かが幸福になる代わりに、誰かが不幸になる という世界から逃れることができないんです。
これをやったら幸福になれる、こうでなければ幸福になれない。だからこうでない私、他人は幸福でない、とみなす。
見返してやる、という世界で生きていれば、自分も見返される世界に生きることになります。
とても辛いです。息が苦しい。見返すために生きたくない。
一人の人間として、ただ歩いていたいのです。

悲観的な世界は、自分を守るために私が勝手に作り上げた世界なんです。
卑屈になって自分を下げていれば、周りに否定されずに傷つかなくて済むと思ったのです。実際そうでした。
でも、過去にそれを見抜かれ、心臓を刺された気持ちになりました。
私はだれかから不健全な方法で承認欲求を満たしていました。

あるとき、卑屈な自分を否定して自信のある自分になりました。
そうしたら、自信のない卑屈な自分や他人が苦手になって、大嫌いになりました。
自信のない自分、卑屈な自分が周りの人を傷つけたから大嫌いでした。だから否定することで決別したかったのです。
自信を持てば相手を傷つけないと思ったのです。

けれど結局自信のない自分に戻って来て、その自分で言った大嫌いが私に刺さりました。
自信のある自分が自信のない自分を否定すれば否定するほど、自信のない人間が憎くなる。
自信のない奴は人を傷つけるやつらだ、だから許さない、と思っていました。

自信のない私を否定したかっただけでした。なにかが足りていない自分を否定し、なにかがある自分を肯定したかったのです。
今思えば、相手を見通すことで過去の自分を断罪したかったのでしょうね。

過去の足りない自分を断罪すれば救われると思ったからです。

でも救われませんでした。
ただただ、逃げ場がなくなるだけでした。
自信のない自分に戻りたくないと思えば思うほど自信がなくなっていきました。

自信がなくてもいいじゃない、バカでもいいじゃない、どうしようもなくてもいいじゃない、そんな風に思えたら、楽になれるのでしょうかね。
ない自分でも構わないということ。

救われたいです。

すでに私は救われている、そう思ったらいいのですが。
そう思ったら、穏やかな気持ちになれるような気がするのです。