くれおの発達障害ブログ

ADHDと軽度ASDを併発。精神安定のために自分の考えをまとめたりします。発達障害の自分を見つめ直す雑記。

離人症になった時の話 友人の手のぬくもりから現実が蘇り始めた

こんばんは! くれおです。
いつかの記事で離人症になったときのことを話したいといったので、今回は私が離人症になったときの体験談を書いていこうと思います。
今回はちょっと長いです。

まず、みなさんは離人症(りじんしょう)という言葉をご存知ですか?
精神科医の方や当事者の方でない限りはあまり聞かない名前かもしれないですよね。
わたしは自分が離人症になっていると気づいてネットで調べるまで、見たことも聞いたこともありませんでした。

離人症とは

私は専門家ではないので詳しくは説明することはできないのですが、離人症とは、周りに対する現実感が喪失し、自分の存在が自分ではないような感覚に陥り、観察者のように自分を眺めているような状態になることを言うようです。

身体に対しては自分の体が自分のものではないような感覚になります。
内面に対してだとなぜ今自分が『ここ』にいるのか?ということに激しい違和感があります。
周囲に対してはまるでベールがかかったように自分と世界が切り離されたように見えたり、彼らが存在しているということに対して実感がなくなります。
当事者としては、この症状はとても当てはまっています。

離人症になる原因や治療等は現時点ではまだ明確には分かっていないらしいです。
ただ、うつ病などの精神的疾患を持っている方はなりやすいみたいですね。

治療に関しては、気づいたら治っていたり、カウンセリングを受けたり。
離人症になる期間が数ヶ月の人もいれば何年もという人もいて、人それぞれ違うようです。

わたしはカウンセリングを少し受けて半年ほどなんとか頑張って無視していたらいつのまにか治っていたタイプです。

離人症になっていた頃は自分がASDだと知りませんでしたが、ASDの方は離人症を発症しやすい?そうです。

けれどわたしが話せるのはただの体験談なので、離人症について本当に知りたい方は専門の本を買って読むのが一番ですね。☺️
ではここから体験談を少し話していこうと思います。

突如始まった離人症

わたしが離人症になったのは、高校二年生の三月頃の時期でした。(北海道に住んでいるので三月はほぼ冬です。)
四人ほどで外食に出かけたときのことです。そこからわたしの離人症生活が始まりました。

離人症になったのは、全員で座布団に座って食事が出るのを待っていたときでした。(このときは離人症の名前も症状も一切知りませんでしたが。)
実は、不思議な現象ともに離人症が起きたんですよね。

普通に座ってただ話していたわけですが、
なんのきっかけもなく、自分の意識がぐわんと歪んだのを覚えています。
何にもしていないのに突然頭がぐらっと重くなったんです。

そうしたら次に、視界がぐにゃ〜っと歪んで、周りの動き全てがスローモーションになっちゃいました。笑

あまりに突然すぎて
「え……。」
ですよ。笑
もうドン引きです。笑

さらに、周りの動きや色、ありとあらゆるものの全てが気持ち悪いほど鮮明に映り始めたんですね。

突然すぎる異変に
「なにが起きてるの? これはなに?」
という焦燥感と混乱でいっぱいになりました。
感覚が過敏になって物が浮き出ているように見えたり、対面で話していた方のまばたきが異常に遅く感じ、ゆっくりとはっきり動く姿が鮮明に見えました。
虫眼鏡で観察するように世界が鮮明に映り、輪郭や動きがはっきりして見えるのです。
さらに自分の体を動かすのも存在しているのも気持ち悪いですし、周りの環境も気持ち悪くて仕方がありませんでした。

そして、私がそのとき思っていたことは、まさに離人症の症状に当てはまるものばかりでした。

「なぜ、この人はまばたきをしているの?」
「なぜ、箸がここにあるの?」
「この人たちは一体誰?」
「なぜここにいるの?」
「わたしはどこにいるの?」
「動かしている手が気持ち悪い」

いかにも離人症という感じですね。
でもこんなこと周りに言ったら確実に意味不明すぎて大惨事になるのが見えてるじゃないですか。笑

申し訳ないですし自分でも理解が追いつかないので、できるだけ顔には出さないようにしました。
けれど食事中ずっとその気持ち悪さが抜けず、「これはなに? 唐揚げ……ってなんだっけ? なんでこんな形なんだ? なんでわたしは箸を持ってるんだ? なにこの形……気持ち悪い……。指の動きも気持ち悪いし」とか、なにに対してもものすごく不思議がっていたのを覚えています。
また、意識が切り離されたように店の中を遠くから見ているような感覚にもなりましたね。汗

楽しいはずの外食が意味不明な症状に襲われたせいでまったく楽しむことができず、さらに相手の人たちに誰?と思ってしまうことに激しい自己嫌悪に陥ってしまい、本当に散々でした。


食事が終わった後も、帰った後も、その不思議な感覚は抜けませんでした。

突然なぜこのタイミングで起きたのかは今でもまったく理解できません。
ストレスも何にもなかったんですよね。
しかし、このタイミングで離人症が始まったのは確かです。

『世界がスローモーションになって目に見えるもの全てが鮮明になる。』という症状は離人症の方は体験したことあるのでしょうか?
さらにスローモーションになって目に見えるもの全てが鮮明になるという症状が起きたのはこの日ただ一回きりでした。
離人症が始まった瞬間だけだったんですね。
次の日からはその症状だけは消えたんです。
でもネットで調べてみると、スローモーションになったように世界が映るという症状を体験していらっしゃる方はいるみたいですね。




みんな誰だ わたしは誰だ

離人症と共に始まった高校三年生の春は地獄でした。

とりあえず、

友達みんな誰?
家族誰?
わたし誰?
わたしがここにいることが不思議でたまらない、わたしの体はなぜ動くの?
なんでみんな話しかけてくるの?
なんでこの家に住んでるの?
なんでこの学校にいるの?

です。

いえ、分かるのです。
記憶はあるのです。
わたしと楽しく話して、友情を深めあった仲間、というのは分かるのです。
わたしを大切に育ててくれた家族だということも分かるのです。
自分が選んで楽しく過ごしている高校だということも分かるのです。
離人症は記憶ははっきりしているんです。

けれど、そこには実感が一つもありません。
突然誰かに体を用意されて記憶を押し込められて「この世界のわたし」を演じさせられているような気分です。
自分の魂だけが本物、それ以外は全て偽の世界。
ものすごく怖いです、この感覚が。
全てが薄っぺらく感じてしまうんですよね。
まるで哲学のような思想ですが、自ら考えたくて考えているわけではなく、外界もわたしの体もあまりにも非現実的なので考えざるを得ないのです。
わたしは離人症になって初めて、こんな感覚あるのか……と驚きました。

けれど、あえて言うのならこんな感じかなあと思っています。

自分の意識=ゲームプレイヤー
(ゲーム画面という名の現実世界を見ているときもあれば、キャラクターの目の奥の中から見ている感覚のときも)

自分の体=ゲーム世界のキャラクター
(画面外からプレイヤーがコントローラーを使ってキャラクターの動きを操る)

現実世界=ゲーム世界
(別世界)


うーん、どうでしょう? 分かりますか?
いまいち自分でもうまく説明できないですね。汗
分かりづらかったら申しわけありません。汗

くれおという名前のついた用意されたキャラクターの中に、現実世界のわたし(プレイヤー)の意識が閉じ込められてるような感覚と言ったらいいのでしょうか?

ゲーム世界に閉じ込められてしまったゲームプレイヤーが現実世界に想いを馳せているような感覚といいますか。
意識だけはギリギリ本来の現実世界とやらに繋がっているので、意識だけでもそちらに行きたがるのです。
現実感の喪失と周りへの実感の喪失を感じながらも、わたしを疑うわたしの意識だけが自分が存在する唯一の証明なのです。

記憶を思い出したとしても、ただこれまでのあらすじを見せられてるだけに思ってしまいます。
言葉では分かるけれど、感覚としては付いてこない。そんな感じといったら良いのでしょうか。
感情が乗っかってこなくて辛いです。

ただただ、

みんな誰!?
あの人たちは誰なの!?
わからない自分が嫌!
わたしって誰なの!?
なんでここにいるの!?
わたしの体は誰のもの!?
本当の世界に戻して!
本当の家族と友達に会わせて!

と自分の部屋(と呼ばれている謎の場所)で叫びをあげるしかありませんでした。
そこには孤独感しかありませんでしたね。笑



学校でもついに耐えられなくなった

時系列はほとんど覚えていませんが、離人症マッハだったなと思っているのは、体育の授業のときと科学の授業が終わった後友人に連れられて保健室に行ったときでした。あー、思い出したくもない。笑
もう思い出しただけで狂人丸出しですもん。笑

まず体育の授業でのときの話をします。
その日はバスケットボールの授業だったのですが、離人症がかなり悪化していました。人のそばにいるのがかなり辛かったです。
現実味も実感もないので、バスケットボールをしようにも全く感覚がわからなくて、先生に許可を得て途中で見学をさせてもらっていました。
見学を許されたので遠くからバスケットボールをしている女子生徒たちを眺めていたのですが、眺めているうちに何か異変が起きていることに気づきました。
今まで感じたことのない強烈な白いベールが彼女たちを覆っていたんですよね。

それのせいで彼女たちがいつもよりも遠く感じ、自分が自分でなくなる感覚が一気に溢れ出しました。
「ここは現実じゃない。私は誰? あの子たちは誰? ここはどこ? わたしの体はどこ?」とパニック状態になってしまって、体育館の裏の階段に逃げ込んで、もう震えまくってました。笑
けれどそれを見かねた先生がそばに来てくれて、そんなわたしを励ましてくれました。本当にありがたいですよね。

けれどそれでも耐えきれませんでした。
体育の授業が終わったあと、体育館の着替え室で着替えようと思いました。
けれど現実感がなさすぎてそれどころではなくなり、次のクラスが着替えに来てもそんなことは目もくれず一人でしゃがんで喚いて泣きながら頭を抱えていました。
けど、ここからどうなったかはもう覚えてないです。
友達が来てくれたのか、自力で戻ったのか、はたして笑
記憶の彼方へ飛んでいきました。笑

次は保健室まで連れられていった話をします。
あまりにも症状が悪化していたので、これがきっかけでカウンセリングに行こうかな、と思ったような気がします。
6時間目だったか5時間目だったかに科学の授業をしていたのですが、もうそれどころじゃなかったです。笑
とりあえずもう

自分の体を確かめるのに必死!!

でした。
自分の手はあるか? 自分の体はあるか?と気になって気になって怖くて怖くてしきりに手を触り続けていました。
授業に全然集中できません。笑

もう、周りがあまりにも虚構でハリボテに見えるもので、自分の存在を必死に保つことでしかそこにいられなかったんですよね。本当マジで怖いですあれ。
でも周りから見たら本当狂人です。笑

けれど、科学の授業が終わっても、離人感は全く消えませんでした。周りが薄っぺらいし、自分の存在も薄っぺらい。自分がなくなりそう……。

もうみんなが帰って掃除をし始めるというときに、あまりにわたしの様子がおかしいので、先生があーもうって感じでお世話してくれて、友人がわたしの状態を見かねて保健室まで連れていってくれました。
保健室の個室で副担任の方と話して、自分のことをコントロールするようにとたくさん言われたのですが、もうハリボテが喋っているようにしか聞こえなかったんですね。
聴いていて罪悪感もあってかなり辛かったです。
精神が疲弊し、泣いて死んだ顔をしながら聴いてました。そんな自分すら虚構なのでもうめちゃくちゃです。
何を言われても全てが虚構すぎて何も感じることができませんでした。
先生、すいません。
ありがとうございました。

それが終わった後は、保健室の椅子に座って、付き添ってくれた友人の手をずっと握り続けていました。
自分の存在をどうにか証明し、この現実世界と繋がろうと頑張っていた気がします。
あたたかくてやわらかくて優しかった手が忘れられません。
あの頃のわたしは、冷たいとか、あたたかいとかで、現実世界に留まろうとしていたんですね。
なので離人がひどい時は、洗面台の前に立って鏡で自分の存在を確認しながら、水をひたすら手にかけ続けていました

また、握ってくれた友人の手の温もりを感じると
「わたしがいま手を握っている彼女は、この世界の大事な友人である。ここは現実である。」
と感じさせてくれました。
思い出すと泣きそうになります。
この世界にいる友人がとても愛おしくなりました。
彼女の手のぬくもりのおかげで、わたしは現実に少し戻ることができたんですよね。
本当にありがとう。
今でも感謝しています。

保健室の先生もわたしの状態を心配してくれて、この世界に留まっていたいと思えました。

家族に話してもこの感覚は理解されませんでしたが、離人症が分からなくてもそれを受け止めてカウンセリングに連れていってくれた母には本当に感謝しています。
理解はできないけれど、助けてもらえるって本当にありがたいですよね。


手のぬくもりは、わたしにとっては現実世界のつなぎ目です。
生きていてよかった。
ここに書けてよかった。
心からそう思えます。


おわりに

ここまでお話ししましたが、人によって重度から軽度もありますし、感じ方も人それぞれなので、いち当事者の感想として受け取っていただければと思っています。☺️

書いてたら離人症が再発しそうになってきました。笑
いろいろ話すとまた長くなってしまうので、今回はここまでにしようと思います。
ここまで読んでくださってありがとうございました!

では!